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カフェ・ラ・テ(ラジオ日本)

jhosakkyo.exblog.jp

毎週土曜深夜3時~1422・JORFでお聴きください

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テレビに出てしゃべると《だじゃれの帝王》だけど、本当の姿は真摯に放送を考える真面目人間!

10回目のお客様はデーブ・スペクターさん。この方も放送作家です!_d0129804_23504318.jpg


放送作家協会に所属しているメンバーは実に多彩な顔ぶれです。
デーブ・スペクターさんもその一人。
日本では、一般的には日本語が上手すぎる変な外人タレント的イメージもありますが、それは
デーブさんの世を忍ぶ仮の姿!というか、ある一面でしかないことが、この放送でわかっていただけたと思います。
デーブさんは、アメリカと日本のメディアを繋ぐ放送プロデューサーとして仕事をする他、所ジョージさんの番組の構成を、いち放送作家として手がけるなど、日本の放送作家の仕事も地道に積み重ねてきました。

そんなデーブさんは、ラジオ番組について一家言を持ち、
「AMラジオはFM局のような音楽で勝負せず、おしゃべり、トークでリスナーを惹きつけなければならない!」と!
アメリカでは、朝食の時間にはテレビを見ずにラジオを聴くのが知的なライフスタイル。
ラジオで熱い議論が起こると、それがその日1日の職場の話題になって、盛り上がる。
ラジオは、世論を盛り上げるオピニオンリーダー的存在でなければならぬ!
わあ、耳が痛い!
ちょっと反省した東海林マスターとさらだママ。
以来この番組でも、「じゃあ、ここで一曲!」とお茶を濁すために音楽に逃げることはやめようということに!

毎回、ゲストの皆様から、学ぶことが多い、「カフェ・ラ・テ」でございます。
# by japanhosakkyo | 2007-12-09 21:13 | 放送アーカイブ
物マネ番組も、ワイドショーも、テレビのエンターテイメントはこの男の頭脳から作られる!


9回目のお客様は、麻雀の帝王、沢口義明さん_d0129804_2323525.jpg


9回目のゲストは構成作家の大御所のひとり、沢口義明さん。
「カフェ・ラ・テ」のママさらだたまこが、女子大生だった頃、放送局に出入りしながら放送作家見習いを始めた頃、沢口あにさんは、すでに、ベテラン放送作家でした。高級車に乗りながら、次は日テレ、次はCX(業界人はフジテレビのことをこう言います)、次はTBS、そして今日のとどめは赤坂の雀荘だ! という感じで、売れっ子放送作家は、テレビ局をハシゴしながら、最後は雀荘に消えていく! この人いったいあんなに仕事を抱えていつ、原稿書いているんだろ!
と思ったものでした。 
沢口さんは、「カフェ・ラ・テ」第1回ゲストの奥山コーシンさんがDNP(大日本印刷ではなく、ドロナワプロの略)という放送作家集団を結成したとき、筆頭のあにさんでした。この後に、原すすむさん、秋元康さん、花輪如一さんらがいて、その一番若手の女の子が、女子大生を卒業したばかりのさらだママだったのです。
あれから四半世紀が経ちました。
あにさんには久々におめもじしましたが、テレビを見てると、しばしばスタッフロールの筆頭に
《構成・沢口義明》の名前を拝見するので、お久しぶりという気はいたしませんでした。
しかしながら、あにさんが、北大の学生時代、デビュー前の、それこそまだ女子大生だった中島みゆきさんと、一緒にコンサートしたり(ギターの引き方をアドバイスしたという逸話もあり!)
あと、弟弟子にあたる秋元康さんが仕切る合コンに「俺も入れろ」と割り込んで、今のカミさん(つまりもともとは秋元さんの知り合いだった)をゲットしたというお話しも、今回ゲストにお招きして初めて知ったとっておきのお話しでした。
25年以上たっても、相変わらず男前の沢口あにさん、いつまでも、格好良く! そしてカミさんとお幸せに!
# by japanhosakkyo | 2007-12-02 21:04 | 放送アーカイブ
夜の暴れん坊将軍として、毎夜、ネオン街で飲みながらも原稿用紙にして、一日100枚はスイスイ書いてしまうというエネルギーはいずこから? まさかアルコールが体内でガソリンに転換されるのかと!

井川遙さんのような不思議な魅力を漂わせる井川さん! 遙さんとは親戚じゃない他人らしいです!
この方は井川香四郎というペンネームで、時代小説を精力的に書いています。
もともとは本名井川公彦で時代劇、ミステリーなど多くのテレビドラマを手がけてきました。
つまり香四郎さんと公彦さんは同一人物。
キャリアからいうと、すごいご年配のセンセイかと思いますが、まだお若いんですよ。
夜の暴れん坊将軍の名にふさわしく、かなりの健啖家。
ミシュラン2ツ星の某店のご常連でもあります。今度ごちそうしてくださいね!

8回目のお客様は夜の暴れん坊将軍 井川香四郎さん _d0129804_19544411.jpg


時代劇のエキスパートともなると、商業演劇の脚本も書かれています。
井川センセイが手にしているチラシは『遠山の金さん』の舞台のチラシ。
# by japanhosakkyo | 2007-11-25 21:00 | 放送アーカイブ
原稿を手書きしなくなったら、放送台本は堕落する! と厳しいお言葉!
放送を愛し、作家という職業に誇りを持って書き続けることをシッカリと説いてくださいました!


直木賞作家であり、11PMの司会でもおなじみ、そして日本放送作家協会の大阪支部長として、関西圏の放送作家養成に力を注いできた藤本義一さん。
テレビの書き手としての仕事は数多くのドラマを書いてきたシナリオ・ライターです。

7回目のお客様は藤本義一さん_d0129804_19162479.jpg


7回目のお客様は藤本義一さん_d0129804_19165148.jpg


スタジオの収録模様です。
当日、朝日新聞の取材がありました。この写真みたいな3ショット(こっちはママ持参のカメラで撮った方)が11月14日のラジオアングルという記事に掲載されました。


「作家は原稿を手で書かなくなたらおしまいだ!」
いまどき、原稿はパソコンですべて!
取材のときはメモをとりつつも、ICレコーダーやデジカメに頼っているデジタルライターとしては
耳が痛かったです!

また、いまどきはどんな番組でも料理のシーンや料理の取材ものが多い!
あれは放送文化ををダメにする、ともおっしゃいました。
料理番組をたくさん構成してるさらだたまこママとしてはドキっとくる言葉。
でも、そのまんな受け取らず、深い意味を考えてみることにしました。

それにしても、藤本さんのお話、面白かったです。
放作協のHPの『放送人』インタビューでも藤本さんはご登場!
合わせてお読みくださいね。
# by japanhosakkyo | 2007-11-18 21:03 | 放送アーカイブ
大倉徹也さんはラジオ日本開局から関わった放送作家!だった

カフェラテのマスター東海林桂がよちよち歩き、そしてママのさらだたまこが、まだオギャーと産声を上げる1年前に、ラジオ日本は開局したそうです。
来年は開局50年! 当時はラジオ関東という局名でした。
あれ、こんなこと言ったら、歳ばればれ!
ま、いっか。
で、第6回のお客様は、開局の日から、ラジオ関東の番組の台本を書いていた、という放送作家の大御所・大倉徹也さんです。

第6回のゲストは大倉徹也さん_d0129804_10481363.jpg


当日、開局当時に使われた貴重な台本も持ってきてくださいました。
放送文化史の宝物! 
マスターの東海林さんは、この台本の存在を知って、開局50周年記念番組にこの台本で、
第1回開局放送を再現する企画を考えております。乞うご期待!


大倉さんはテレビやラジオの番組、数え切れないほど手がけて来られましたが、
ドリフターズの『8時だよ! 全員集合』の前身はラジオ番組だったそうです。
ドリフのメンバーをキャラクター付けして、トーク番組を試みて、それが全員集合へと繋がっていったんです。
そんな歴史、知りませんでした。

昔は、メールもファックスも無かった時代。
売れっ子だった大倉さん、原稿が間に合わないときは、近くの「赤電話」で口伝えに台本を送ったそうです。
それを向こうで受けて、そのまま放送でしゃべったのが先代・林家三平師匠。
大倉さん、三平師匠に電話口で「どーもスイマセン」って謝ってたのでしょうか?
# by japanhosakkyo | 2007-11-11 21:04 | 放送アーカイブ

by japanhosakkyo