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カテゴリ:放送アーカイブ( 135 )

#164&165は乙川恒樹さん

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ご来店の乙川恒樹さん。
『笑っていいとも』や『ダウンタウンのごっつええ感じ』をはじめ、バラエティやスポーツ番組、ワイドショーと
幅広いフィールドワークでご活躍!

大学生の頃、新聞社でバイトをしたのが業界に入るきっかけに。
「最初は放送作家をめざしていたのではなく、新聞社の正社員採用を狙ってました」。
ところが、あるとき参加した飲み会で放送作家にスカウトされた。
「いきいなりクイズやコントの原稿書いて持ってこいっていわれて。まだバイトも学生もやってて忙しいのに、原稿提出しないと怒りの電話で追いかけられるし(笑)」。

スカウトされて所属したのは、『世界まるごとHOWマッチ』などで知られる作家・原すすむさん率いる『ライターズ・オフィス』。
有名作家がいる事務所には仕事のオファーも多いが、ふられる仕事を必死でこなさないと生き残りは厳しい。やがて新聞社も大学も辞めて放送作家一筋の選択を迫られた。

その後『笑っていいとも』の構成をきっかけに、フジテレビの名物プロデューサー横澤彪さんや、佐藤義和さんの制作体制でいくつものバラエティ番組にかかわるように。
「放送作家は基本フリーですけど、他の制作チームには参加禁止というのが暗黙の掟です」。
他局で仕事をする場合もバラエティ以外のジャンルで、というのが乙川ルール。
そのルールでスポーツ、ワイドショーとフィールドも広げていった。

一方で、エアギタージャパン設立の主要メンバーとしても活躍。
放送作家として長く培ってきた経験と知識は、新しい創造を生む活力。
“常に10年若い気持ちで”がモットーの乙川さんに今後も期待も膨らみます。
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by japanhosakkyo | 2010-12-10 18:22 | 放送アーカイブ
子ども番組から、時代劇まで
新シリーズ『水戸黄門』も執筆!
 
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水戸黄門の最新シリーズ42部のシナリオも手がける脚本家の岡崎由紀子さん。

大学卒業後は某有名デパート(駅のそばの丸井)に就職、バイヤーの仕事をしていました。
「でも、仕事はかなりハードで、体力に自信ないなあ、家でできる仕事がいいなあ」と会社を辞めて
もの書き修業を始めたのです。

「最初は小説を目指しましたが細かい描写より、台詞をどんどん書く方が楽しくて」、と脚本分野で本領発揮をするようになります。
しかも恋愛物から、時代物、刑事物、そしてNHK教育で話題になった子ども料理番組『ひとりでできるもん』まで幅広いジャンルをこなすのが岡崎流!
とにかく、台詞にこだわる。
「台詞は脚本の命。しかも細かい遊びを入れるのが好きで、役者さんが乗ってくれると脚本家冥利につきる・・・・・・」と。

そして、日本脚本家連盟の『ライターズスクール・脚本コース』で後進の育成にもあたっている岡崎さん。
岡崎ゼミの卒業生たちと演劇ユニット『ケロケロ団』も結成。
“新人脚本家のショーケース”として、業界から注目されています。

現在、ライターズスクールでも開講100期記念のコンクールを開催中。
「応募要項をよーく読めば、プロ以外なら、誰にでも門戸が開かれているので」と、放送を通じても広く参加を呼びかけていました。
(注) ライターズスクールの100期受講に申し込む必要があります。

岡崎さんもさらだママもライターズスクールの卒業生なので、頼もしいプロの作家仲間が増えることに大いに期待したいところです。
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by japanhosakkyo | 2010-11-26 16:04 | 放送アーカイブ
 
構成作家の大ベテラン
今は、時代小説家でブレーク!
 
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今や小説家としても活躍の場を広げているベテラン放送作家の松本茂樹さん。
しかも、放送作家なら誰もが憧れる青島幸男さんや、
落語家の立川談志さんのもとで修業したというとっても羨ましい経歴。

けれども、放送作家になるまでの道のりは紆余曲折の連続でした。

そもそも学生時代は軽音楽に夢中だったという松本茂樹さん。
仲間には作詞家の荒木とよひささんや俳優の森本レオさんがいたというから驚きです。

「音楽なんかやってたから、就職しそびれてウロウロしてたら、芸能事務所に誘われて」。
「エマノン」という事務所で、綴りを後ろから読むと、ノーネーム。
そんな洒落た事務所には、ジャズ評論家の小島正雄、作曲家の山本直純、そして名前も顔も売れている放送作家の前田武彦、大橋巨泉、青島幸男といった文化人がそろっていました。

松本さんは、最初、青島幸男さんの付き人になりました。
「単なる付き人だったんですが、青島さんは僕のことを作家志望だと勝手に思いこんで、
いろいろ課題をふってくるんです。で、いわれたら、真面目に書いていくでしょ。
でもうまく書けずに怒られてばかり。いやになって逃げちゃったんです。だって、そのときはミュージシャン崩れで、当時は作家志望ではないもんで」

その後、立川談志さんに出会い「落語が好きか? 傍にいて落語聴いていればいいからさ」との誘い言葉でまたもや付き人に! 
だが師匠の事務所が解散になり失業してしまった松本さん。

それでも、神様はこの人を放送作家にしようと運命づけていたのでしょう。
松本さんは、青島さんの筆頭弟子の放送作家・奥山侊伸さんに再会し、今度は奥山さんの弟子となり、
ようやく本格的な放送作家人生を踏み出したのでした。

それから、ワイドショー、ドキュメンタリー、バラエティからドラマまで、なんでもこなした、多忙な放送作家人生となりました。

そして、五十が近くなった頃から小説も書き始めたのです。
「初心に戻って、ミステリーで有名な山村正夫さんの小説教室の門を叩きました」。
あの篠田節子さんや宮部みゆきさんを輩出した教室。

「テレビでそこそこ仕事をしても、小説は別の世界。二足のわらじではなかなか書く時間が作れなくて」。
そんな中で山村教室の講師だった角川書店の名物編集者・山口十八良さんに背中を押され、書き上げたのが『孤狼江戸を奔る』(廣済堂文庫)。
以来、時代小説も三冊上梓。

「振り返ると、人生すべては人の繋がりだから!」というしみじみとした言葉が印象に残りました。

余談ですが、松本茂樹さんは、奥山門下で、さらだたまこママの先輩“あにさん”にあたります。
よく面倒みてもらいましたが、
奥山侊伸先生の事務所って、奥山先生自身が、相当かっこいい魅力的な男性だったのですが、
お弟子のあにさんたちも、いい男揃いで有名でした。
沢口義明さん、原すすむさん、花輪如一さん・・・この番組にもゲストでおこしいただきましたが、
みな若いときはハンサムでした。(今もすてきなおじさまたちです)
で、中でも、背が高くて、革ジャンが似合って美男子だった松本茂樹さん。
奥山先生の著書『放送作家は万年新人募集中』をめくると、若き松本兄さんのかっこいい写真が!
奥山先生も格好良いけど、弟子も素敵!
その本を手にとって読んだ、当時女子大生のさらだたまこは、
「奥山門下で放送作家になろう!」
不純な動機こそ、人生を歩む大きなモチベーションになるのです。
むふふ。
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by japanhosakkyo | 2010-11-12 12:17 | 放送アーカイブ
はっぴーオーラ全開の行動派
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はっぴーふーみんさん。
かなりインパクトのある筆名です。
(さらだたまこママのペンネームもかなりユニークですが・・・)

聞けば、先輩作家のわぐりたかしさんが命名したとか。

ふーみんさんは、もともと、新聞のラテ面の記者から出発。
「番組の取材をすると資料で台本を見せてもらうことが多く自分でも書けそうかなって」思ってたところ、
『オールナイトニッポン』の企画を相談されたのが放送台本に携わるきっかけに。

早速書いて持ち込んだ台本が即採用されたという幸運ガール。
その縁で、『中居正広のSome girl' SMAP』も執筆。

記者と放送作家の二足のわらじを履くことになったわけです。

これまで、ふーみんさんが担当してきた番組は、FM局のおしゃれテイストの番組から、テレビのニュース・情報番組までと幅広い。

特に作家として勉強になったのは『スーパーJチャンネル』だといいます。
ふーみんさんが自ら企画した『世にも明るいニュース』では、ネタ捜しから構成はもちろんのこと、他の重大ニュースで、人手が足らないので、ディレクターの仕事も経験もしたのがとても勉強になったとか。
「でもね、でかい失敗もあるんですよ」と、打ち明けてくれ大失敗談!
カメラマンに撮影指示をしていたら、カメラマンが足元を誤ってカメラごとプールに落ちてしまった件!
ディレクターはカメラマンの足元まで気をつかって、指示をださなくればいけないのだが・・・・
そして一台100万円以上するカメラの弁償を考えると
「マッ青になって落ち込んで」
でも、保険が掛けてあったので、始末書と小言で済んだそうです・・・ああ、よかったですね。
聞いただけでも、恐ろしい。
某有名人で、本番中、スタジオのカメラを倒した話題など、いつまでも伝説として残ってしましますからね。

しかし、とにかく、ふーみんさんは「思いついたら即、行動派」。
最近、結婚されて、本名はアレキサンダー・ふみとなりました。
ご主人はイギリス人。
「母国を離れて、海外でボランティア活動をしているというので、実際に見に行ったら、相手がびっくりして!」。その行動力にダーリンが惚れ込んだとか。

仕事もプライベートもハッピーオーラ満開のふーみんさんでした。
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by japanhosakkyo | 2010-10-29 10:16 | 放送アーカイブ
 『天才・たけしの元気が出るテレビ』や
『伊東家の食卓』などでおなじみ、
岩瀬理恵子さん
 


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駆け出しの頃、岩瀬さんはドキュメンタリー畑のベテラン・南川泰三氏の事務所に所属していました。
片や、さらだママはバラエティの大御所・奥山コーシン氏の事務所に所属。
奥山先生と南川先生は仲がいいので、なんか“従姉妹弟子”って感覚です。

お互いに名前は知っていたけど、お会いするのは初めて!
感動のご対面でした。

岩瀬さんの“売り”は“速い”こと。
「プロデューサーやディレクターの急な呼び出しやオーダーに即応じる」。
そうなんです。
放送作家は上手いだけじゃだめ、早くないと!

しかし、言うは易しだが、これがなかなか上手くできない。
「プロデューサーが思いついた企画を、“じゃ、2時間くらいで企画書にまとめておいて”と言われてちゃんとやる」のが岩瀬流。
「ときどき、あんまりにも無理かなあという、直しをさせられたりもしますが、なぜかやれてしまうんです」。

そんな岩瀬さんは、プライバシーも仕事に捧げたからすごい!
ある番組で「気球に乗って結婚式を挙げてくれるカップルを探せ!」と言われ、
「だったら、私が・・・・・・」と挙手をしたんですよ!
「ちょうど、そろそろ結婚してもいいかなあという彼氏がいたので(笑)」。
このノリも放送作家としてすごーく大切!


岩瀬さんは、新人の頃、クイズ番組の問題作りやリサーチもやっていたので「引出には積み上げた情報が今もぎっしり」。
その実績を今は後進の育成にも役立てています。
「新人には、ゴールはこうだとアドバイスします。そこへたどり着く道を模索させるのが、育成なのんです」。

なるほど、岩瀬さんの薫陶受けた新人がどんどん活躍する日も楽しみです。
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by japanhosakkyo | 2010-10-15 10:07 | 放送アーカイブ
NHKの紅白歌合戦など
看板番組を手がけたベテラン!


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『紅白歌合戦』、『クイズ面白ゼミナール』、『爆笑オンエアバトル』などNHKの人気番組を数多く手がけてきた放送作家・井上頌一さん。
「学生運動時代の就職難で、学食に貼ってあった“テレビの作家になりませんか?”のポスターが唯一の望みでこの道に」。
それは永六輔さんの私塾『ニコノコ堂』の募集記事。
この塾からは、パーソナリティーとしても活躍したかぜ耕治氏や脚本家の故・松原敏春氏などを輩出しています。 

井上さんは1970年、大阪の万博の年に、NHKの音楽番組『ステージ101』で本格的に放送作家活動を開始。
さらに大晦日の『紅白歌合戦』にもこの年から34年間かかわってきました。
「紅白の構成は、司会のコメントや応援合戦の構成もしますが、全体の切り口、テーマをどう掘り下げていくか、が作家として大きな仕事。毎年毎年積み重ねていく歴史の中の一頁を書くつもりで・・・」
という言葉が印象に残りました。
いやはや、国民的看板番組うを担うとはいかに大変か!
「もっとも、生放送の現場では、応援コントが客席に受けなくて落ち込んだり、時間が押してきて、司会のコメントを短く調整したり、てんやわんやの鉄火場なんです。でも最後の『蛍の光』が無事、放送時間に収まると、なんとも言えぬ達成感です」。


さまざまな番組をてがけながら、今は暮れのクラシックのガラコンサートの構成でも活躍の井上さん。
「音楽から、クイズから、お笑いまで、幅広いですね、とよく言われますが、放送作家は刺身職人なんですよ!」。

そうなんです!
良い素材だけでは番組はできない、美味い切り口をみつける作家の技があって番組は生まれる。
井上さんの含蓄ある言葉でした。
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by japanhosakkyo | 2010-09-24 10:02 | 放送アーカイブ
修業時代! 
あの欽ちゃんから手取り足取り台本を学んだ!


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バラエティから情報番組まで幅広く活躍中の放送作家・植竹英次さん。
大学生の頃、青年座の養成所に入所し、演劇の道を目指すも、一方で「作家になりたい」という気持ちもあってシナリオセンターでも学んでいました。
そんなとき、ふと目にした放送作家募集記事。
求人先はコント55号を輩出した浅井企画だったのです。
「最初は、小堺一機さんや関根勤さんの現場についたり、一緒に映画の試写を見にいったり、ゆるい生活でした」。
と、当時を振り返る植竹さんです。
あるとき事務所の社長の引っ越しを手伝っていたら、萩本欽一さんのマネージャに
「お笑い書きたいなら、書いた物見せて」と声をかけられたそうで・・・。
でも、絵日記みたいなものしかなかったので、それを持っていったら、「いいね」と気に入られ、ついに欽ちゃんに直接ついて、あこがれの本格的な修業が始まったのです。
「でも、ボクの書くネタはボツばっかりで」。
かつてはがき職人としては採用率が高く、「子どもの頃からクラスでは面白い」と言われてきただけに、プロとしてやっていくにはまだまだだと実感しそうです。
そんな植竹さんを、欽ちゃんは家に呼んで、夜を徹して台本の書き方を指南したというから、なんとも羨ましい。
「一から原稿の書き方を教わった唯一の弟子」なのだそうだ。

現在は『とくダネ!』や『めざましテレビ』などの情報番組も手がけている植竹さん。
お笑いと情報番組では物のとらえ方やスタッフの感性も180度違うはず。
「でも、世の中みんなコントなんです。それをどういう形で表現するか、その違いなんですよね」。
生真面目さと可笑味が共存する不思議なオーラが魅力の植竹さんでした。
        
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by japanhosakkyo | 2010-09-10 09:49 | 放送アーカイブ
ポストビートルズが目標の、
歌う放送作家♪



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『HEY!HEY!HEY!』や『ダウンタウンDX』など数々のヒット番組の構成でおなじみの倉本美津留さん。ミュージシャンをめざし、音楽系の番組作りにも強いプロダクションでADから修業を始めた経歴の持ち主。
そのとき、社長から「お前、喋ると面白いから放送作家になれ」と言われた。
それが作家になるきっかけ。
しゃべりが面白いのは子どもの時からの処世訓だったと。
「女の子に持てたかった。そのためにクラスで一番目立って面白いヤツになろうと。しかも主張がしっかりしてると、いじめにも遭わない!」。
今もミュージシャン&ソングライターとして二足のわらじを履く倉本さん。
「芸人になる道も諦めてはいなかったんですけどね」
けれども、倉本さんが放送作家で行こうと決意したのは
「ダウンタウンに出会い、自分の面白い才能はすべて彼らに捧げようと思ったから」。

倉本さん曰く、ダウンタウンは「お笑いのビートルズ」。
ビートルズの生き方に影響を受けた倉本さんには、常に「ビートルズ的」という基準があるといいます。
①今まで誰もやってない発想か?
②わかりやすいか?
③目からウロコが落ちるか?
④これをネタにみんなが楽しく遊べるか? 

もっとも、音楽の方面では「ポスト・ビートルズ」が目標だと憚らない。
しかも、倉本さんが憧れる先輩放送作家にマルチ人間の青島幸男さんがいます。
大阪育ちでも、大阪の笑いにどっぷりつからず、東京の笑いを好み、大阪発信の全国区ヒットを創る仕掛け人、それが倉本さん。

そのマルチ指向ぶりはまさに「21世紀の青島だあ!」と益々倉本さんに期待を寄せるさらだママでした。
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by japanhosakkyo | 2010-08-13 09:29 | 放送アーカイブ

#144&145は相良敦子さん

『ウエルかめ』を書き終えた
相良敦子さんに、とておきの秘話を
うかがいました



6月まで放送されていたNHKの朝の連ドラ『ウエルかめ』の脚本家、相良敦子さんを迎え、ホットな制作秘話を伺いました。
朝ドラのシナリオは長丁場。
相良さんに脚本依頼の話があったのは2008年の2月。
ちょうど、その年の4月から放送になるドラマ『バッテリー』(あさのあつこ原作)の脚本を書き上げたときだったそうですよ。
「まず舞台をどこにするか? 早速シナハンから始めました」。
大阪局制作だったのでNHKからは「徳島はどうですか?」と提案があったのですが、
相良さんは「日本全国でなぜか徳島だけ行ったことがなくて・・・・・・」。
しかし実際に足を運んで、いきなり美波町の海岸でウミガメの赤ちゃんたちが海に旅立つシーンに遭遇。
「これだ!」とひらめいたそうです。
でもシナハン当初は正式なGOの段階ではなく「朝ドラの取材とは言えず、ひたすら旅行好きの中年グループの体を装って話を聞いて回った(笑)」と。想像してみると、なんかそれも、ドラマのワンシーンのようですね。

半年の連ドラに準備に一年、執筆に一年、およそ二年あまりの歳月をかけるというハードなお仕事。
「結局2年連続お正月返上でした(笑)」と。
けれど今はもう相良さんにとって、徳島は第二の故郷。
取材で出会った人々に「ドラマ見て、私の人生も素敵だったんだって思えて。ありがとう」と感謝されたのが脚本家冥利につるきるエピソードだったといいます。

書き終えて相良さんが今思うことは「締め切りを考えず、徳島の民宿でのんびりお風呂にはいりたい!」と、笑顔で締めくくったのが印象的でした。
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by japanhosakkyo | 2010-07-24 09:10 | 放送アーカイブ
日本映画をヒットに導く脚本家・加藤正人さんに
映画『孤高のメス』の脚本ができるまでを、
じっくりお伺いしました。


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映画『日本沈没』、『クライマーズ・ハイ』などの脚本でおなじみの加藤正人さん。
日本シナリオ作家協会の前会長、現常務理事として日本映画文化の向上発展といった啓発活動にも力を注いでいる。今回は最新作の『孤高のメス』(成島出監督)の脚本がどう作られたかを伺いました。

「全6巻に及ぶ大鐘稔彦原作を2時間の脚本にするには?」。
加藤さん曰く、「まず作品の一番重要なポイントはどこか?」と。
加藤さんの場合、新たな取材メモや資料の写し、セリフのデッサンなど書き込む創作ノート作りから始めていくそうですよ。
何冊にもなるそのノートをもとにシナリオに着手。
特に、『孤高のメス』の場合は、シナリオが完成するまで、
「自分でもなかなか納得いかない難業で、何度と書き直しましたよ」と。
また、堤真一さん演じた主人公の当麻医師は揺るぎない優秀な医師という設定なので
「ドラマに必要な人間の成長を描くのは、夏川結衣さん演じる看護師・浪子に担わせた」と。
原作ではヒロインになりうる人物は複数出てくるのですが
「映画では一人にその要素を集約させた方がいい」と。
さらに「原作の魅力、テイストを失わせないために、むしろ原作にはない表現で物語を切り取って凝縮させる工夫が必要」だと。
手術シーンでヒロインの日記風ナレーション、そして都はるみの挿入歌! こうしたフックになるアイデアも加藤さんは、監督と相談して、練り上げていったそうです。
最後に「僕のシナリオ文法は古典的。それにこだわりたい」といった言葉も印象的でした。
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by japanhosakkyo | 2010-07-11 00:48 | 放送アーカイブ