カフェ・ラ・テ(ラジオ日本)

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カテゴリ:放送アーカイブ( 135 )

脚本家であり、編集者であり、
博学な野口卓さん。
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ゲストは脚本家にして、小説家、そして書籍の編集者としても活躍する野口卓(のぐち たく)さん。
作家として著作物は10冊以上。
しかし「もの書き」の道に入るまでに、様々な職業を経験したという経歴の持ち主です。

「高校卒業後、地元徳島で公務員になったんです。親父は喜んだんですが、早くも一生が見えてしまって」と、9ヶ月で退職。京都に出て大学に進学するも、「やはり計画的に中退してしまい、いわば勘当の身になって」東京へ。
新宿で演劇人や文化人が集うバーで働いたり、動物の飼育員になったり。
やがて知人に誘われ、編集の仕事を始めることに。

「編集の仕事は面白いのですが、一方で、自分が何かを書いてみたいという欲求にかられましてね」。
シナリオを勉強してみようかと一念発起したのは30代の後半。
新藤兼人氏や新井一氏のシナリオ本を買い求め研究し、いくつものコンクールに果敢に挑戦し続けました。

そして49歳の時、「第3回菊池寛ドラマ賞」に応募して見事受賞。
受賞に甘んじることなく、放送局にも積極的に電話をしたところも野口さんのすごいところです。
「最初、持ち込みは受け付けてないんですよ、と断られるんですが、話しているうちに、じゃあ、とりあえず送ってくださいって」。
そういわれて持ち込んだ作品がきっかけで、オンエアにこぎつけたことも。
行動力のたまものだ、とさらだママも唸るほど!

「著書を10冊出したときに、11冊目はどうしても小説を」と、旧知の出版社に現代小説を持ち込むも「丁重に断れられました」。
それでもめげずに行動したら別の出版社から時代小説のオファーが! 
それが今年初めに上梓した『軍鶏侍』。
博学な野口さんは、シェークスピアや落語に関する著書も多く、
先月末に12冊目の著書『落語こわい、こわい落語』も上梓したばかり。

筆に勢いが乗ってる野口さんに、ますます期待を寄せるさらだママです!
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by japanhosakkyo | 2011-05-27 15:52 | 放送アーカイブ

『デカワンコ』など、人気ドラマの脚本でおなじみ、伴一彦さん。


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さて、5月前半のゲストは、『デカワンコ』を終えたばかりの脚本家・伴一彦さん。
『スチュワーデス刑事』などにも共通して、コメディタッチ溢れるのが伴作品の魅力です。

けれどものっけから「脚本家を目指した頃はコメディは好きでなかったというから驚き。
映画を観るのに笑うためにお金を使いたくなかった」と意外なコメントが!

「アラン・ドロンの『冒険者たち』のようにリリカルで、ちょいとペシミズムな作品に憧れた」という伴さん。
少年の頃から読書と映画が大好き、「進学するならここしかない!」と日大芸術学部映画学科脚本コースへ。かねてから尊敬していた脚本家・石森史郎さんに師事しました。
「当時の石森先生の講義ノートが今もバイブルになってます」。

26歳で加山雄三主演のTVドラマ『探偵同盟』でデビュー。
当時は日活ロマンポルノも書いたが、コメディ路線のオファーが多く、伴流ユーモアテイストが芽吹いていったのです。

30歳の時、TVドラマ『うちの子にかぎって』が出世作となります。
田村正和さんの新しい持ち味を引き出した作品です。

「僕のシナリオのアプローチはあくまで映画なんです」。
具体的にいうと「登場人物は作家のテーマを語らせるための道具。
いくら台詞が面白く書けても、テーマが伝えられていないと判断した脚本はボツにする」と。
台詞の面白さだけで流れていくTVドラマのありかたに苦言を呈したところにさらだママも納得!
 
伴さんはHPで御自身のシナリオを一部公開しています。
「理想は電子書籍。シナリオ掲載に一番適していると思う。多くの脚本家志望者に、役立つ教科書にもなるし」という言葉にもうなずいたさらだママでした。
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by japanhosakkyo | 2011-05-15 15:31 | 放送アーカイブ
ゲストはマルチな才人!
おちまさとさん


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今や放送以外の分野でも様々なプロデュースを手がけ、
マルチな才能を発揮している
おちまさとさんの登場です。

おちさんは、今月の前半のゲストにお招きした豊村剛さんが手がけた『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の放送作家オーディションに受かって、才能を開花させた人。
今や放送以外の分野でも様々なプロデュースを手がけ、マルチな才能を発揮しています。

「小学生の時からスピルバーグを目指した」というおち少年は、俯瞰で客観的に物事を眺めていたといいます。
「自分にしかできない才能があるって思ってたんです。ただそれを具体的にどうやったらいいかわからなくて、ずっともやもやしてましたね」。
高校を卒業してももやもやは解消されず・・・・・。
そんな折り、テレビで放送作家募集を知り、すぐハガキに思いつくだけのアイデアを書いて投函したのでした。そして二次試験の企画書、3次の面接をクリアして、番組のプロデューサーであったテリー伊藤さんの弟子になったのです。 

テリーさんの元で9年、その後独立。
一時は25本のレギュラーをこなす超売れっ子に。

思い出に残る番組のひとつに『桑田佳祐の音楽寅さん』があるという話題にも触れました。
桑田さんから「カジュアルに歌をうたってみたい」という要望があり、企画から考えたそうです。
「いろんな雑談を通じて、焦らず時間をかけて切り口を模索していきました」。
そんな中で、ふと思いついたタイトルを口にしたとたん、桑田さんが「それ、いいね」。
一気に企画が進み、番組が実現したというドラマチックなエピソードも伺いました。

「放送作家って、放送や作家にしばられず何でもできる一人コングロマリットなんです」。
ブームに乗ったり、ムードに流されることにはむしろ抗い「ファーストペンギンとして、真っ先に海に突進するタイプ」と自己分析するおちさん。

世の中は右肩さがりでも、おちさん流の発想と行動力とがあれば、ものづくりはますます楽しいと感じたさらだママでした。
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by japanhosakkyo | 2011-04-30 15:26 | 放送アーカイブ
大御所登場!
豊村剛さん
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『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』『世界まる見え!テレビ特捜部』など
数多くの番組を手がけてきた大ベテラン


『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』『世界まる見え!テレビ特捜部』など
数多くの番組を手がけてきた大ベテランの豊村さん。

意外なことに「最初は映画監督志望」だったそうです。
中学・高校時代は「昼食代を節約して、週末に映画3本立てを見るのが唯一の楽しみ」だったとか。
「小林旭に憧れて、今も旭風に右手に腕時計をしてるんです」、と右腕を見せてくださいました。

浪人時代も受験勉強より映画三昧!
大学時代も映画三昧の日々! 
しかし就職試験で映画会社に入れず、人づてに紹介されたのが放送作家の新倉イワオさんだったというのが運命の始まり!

新倉さんは日本テレビ創設スタッフであり、長寿番組『笑点』を立ち上げた重鎮の放送作家。
新倉さんに弟子入りし、豊村さんも『笑点』のコーナー担当に。
「だいたいドラマ以外の番組に台本があることに驚いたし、放送作家なんて職業も知らなかった」という修業時代は、なかなか独り立ち出来ない苦労の連続だったそうです。

けれども、当時はちょうどテレビが黄金期を迎える時代で、番組作りで二人三脚となったスタッフが、後に局のチーフプロデューサーや経営陣となっていく。
そして豊村さんも、テレビ局にとって手放せない“頭脳=企画を生み出す才能”となっていきます。

「『伊藤家の食卓』はバラエティのサザエさん、『速報!歌の大辞テン』は歌番組でなく情報バラエティ・・・・・・」と、ひねりを利かせた切り口が豊村流。
しかしこの一言で表せるコンセプトを見つけるのは金鉱を堀り当てるほど難しいわけで・・・・・。

まさにバラエティこそ、豊村さんの天職であり、テレビが豊村さんを待っていたと、
つくづく思ったさらだママなのでした。
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by japanhosakkyo | 2011-04-15 15:17 | 放送アーカイブ
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放送作家には、ひたすら書くタイプもいれば、タレントさんの如く表に出て裏と表から放送を支えるタイプもいれる。
今回のゲスト・元祖爆笑王さんは表に出るタイプの作家さん。
ラジオ日本で「元爆&敬一のラジオDEシクヨロ!」のパーソナリティも務める。

放送作家になったきっかけは、大学時代「出身の秋田訛を直してもてたい!」と落研に入ったことだった。
先輩OBには、当時既に有名になっていた高田文夫さんがいる。
「高田さんに、将来は秋田の放送局に入社して番組作りたい」と言ったら
「放送局に入社試験は難関。採用されても制作の仕事ができるとは限らない。現場で働きたいなら放送作家だ」といわれ、学生のうちから高田さんに弟子入りした。

「師匠には原稿の書き方云々よりも、放送業界の礼儀や江戸っ子の粋について学びました」。
26歳でテレビ「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば」の構成に参加し、『めちゃ²イケてるッ!』『爆笑レッドカーペット』等の構成で大活躍。

またタレント養成スクールでお笑いを目指す若者に「今、求められるお笑いは何か!」を指導している。
「誰も見たことのない新しいネタ、切り口が欲しいのです。既に見たネタや何度も見るネタをやってたら、日本のお笑い界はすぐさま終焉を迎えるので、僕らも必死です」。

元祖爆笑王さんの言葉を借りれば
「今、笑いは出来高制。つまらないところは一切オンエアに出せない」。
そのために放送作家の会議は長時間、
「演者の気持ちになって、笑いのシミュレーションを納得いくまでやる」のが作家の役目という。


さて、がんばくさんがお持ちの本は、最新の著書
『3秒で「場をつかむ」技術』(メディアファクトリー刊)です。
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by japanhosakkyo | 2011-02-26 02:23 | 放送アーカイブ
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放送作家には、ひたすら書くタイプもいれば、タレントさんの如く表に出て裏と表から放送を支えるタイプもいれば、プロデューサーとして総合的な制作能力を発揮するタイプもいます。

ご来店いただいたゲスト・亀和夫さんは総合プロデューサータイプの作家。
現在は大衆演劇界のスター松井誠さんとタッグを組んで演劇プロデューサーとしても大活躍! 

そんな亀さんが、書くことに目覚めたのは「中学でリレー小説書いて、書く楽しさを知ったこと」。
高校時代は池袋ので文芸坐で映画三昧の生活。
大学は「親元から離れたい一心」で京都へ!
映画研究部で文芸運動を経験し「表現の自由の大切さを知りました」。

卒業後、とある政治経済系の雑誌編集部に就職。
「給料が良くてね。でもあとからブラックジャーナリズム系だと気づいたんです」。
だが図書館で調べ物したり、業界の大物にインタビュー取材に行ったり、編集長から原稿を厳しくチェックされたり・・・・・・。
「たった二年でしたが、世の中の仕組みを裏から表から学んだのは、後の作家生活に大いに役立ったと思う」と。
その後、ぶらりと台湾に長く逗留。
「この二年間は心の旅でした」。
戻ってきたときようやく、脚本家を目指そうと決心。
師事したのは、日活映画で多くの作品を手がけた才賀明氏。
一方で、放送作家の仕事なら構成、アニメ、ディレクターも経験。
「節操なく稼いでました」

こうした様々な経験値が、新しい形に実を結んだ。
松井誠さんと出会い、演劇プロデューサーとなる。
京橋に稽古場を兼ねた「MAKOTO銀座シアター」があるが、私たちの仲間の脚本家の作品が上演されることも多い。

人の才能と才能を繋ぐ亀さんの夢は
「大衆演劇と歌舞伎のコラボレーション!」
早速、形にすべく、企画は進行中!
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by japanhosakkyo | 2011-02-12 02:19 | 放送アーカイブ
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『大改造!劇的ビフォーアフター』『和風総本家』など十数本のレギュラー抱えて大活躍の構成作家・伊藤正宏さん。
ツイッターを覗くと、深夜早朝問わず、つぶやいている。締めきりと、会議の合間に・・・
一体いつ寝てるんだろう?
しかし、カフェに来店の伊藤さんは、元気いっぱい!
舞台俳優さんだっただけに、お話しも上手でつい、惹き込まれる魅力いっぱいのキャラクターでした。


そもそもは、早稲田大学時代、鴻上尚史さん主宰の劇団第三舞台で俳優からスタートしたのがきっかけ。
「役者につきもののバイトに明け暮れた中で、放送作家もやってみようという軽いのりで・・・」。
バイトの内容は与えられたテーマでコントネタを書いてFAXで送る仕事。
それが、フジテレビの深夜番組『笑いの殿堂』の立ち上げだった。
「初め新人作家が二十人くらいいたんですがどんどん減らされて、残ったら内村あんちゃん(宏幸さん)と二人。
ベテランのディレクターにしごかれました」。
それが二十代半ばの放送作家デビューとなった。

もっとも暫くは役者と二足の草鞋を続けたが・・・。
「でも両立できなくて悩みました。ちょうど三十になったとき劇団が活動を休止して、ならば放送作家一本で」と決心したのだった。

ちょっとだけ視点を変えて、面白い切り口でアプローチしていく番組作りが伊藤流! 
「役者で培った分は、才能あるタレントさんに捧げようと思って、今はいい台本を書くことに専念しています」
その感性は引く手あまただ。

最近、私生活では二卵性の男女の双子のパパに! 
子育ても大奮闘しながら、一分一秒惜しんで面白い番組を企画し創る伊藤パパのエネルギーはますます炸裂!

くれぐれも、お体だけはご自愛くださいね!

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by japanhosakkyo | 2011-01-29 04:10 | 放送アーカイブ
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お客様は、NHKの連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の脚本を書き終えた山本むつみさん。
(長らくラブコールしてましたが、ようやく、来店いただきました)

原作との出会いは2008年の秋だったそうです。
NHKの土曜ドラマ『トップセールス』を書き終えた頃、山本さんは、朝の連ドラのオファーが来て、ネタを探していました。
「でもね、半年分の連ドラマ書けるネタは簡単に見つからないんですよ」
企画のために会議が幾日も続いた、ある日のこと・・・
NHKの会議の帰りにふと立ち寄った渋谷の書店で偶然目がとまったのが『ゲゲゲの女房』の原作本!
「ひらめくものを感じて、ああ、これいける!」。

山本さんは、まずトップセールスを書いたときも行った「初めに年表ありき」の作業から着手。
お持ちいただき、見せていただきましたが、なんと緻密な!
「連ドラは紙芝居と同じ、一枚一枚の惹きつける何かを盛り込む作業を毎回全力でしました」と。
明日の放送を首を長くして待った『ゲ女』ファンを唸らせた秘密はここにあり! と、東海林マスターとさらだママはうなりましたねえ。

山本さんは2003年、放送作家協会主催のラジオドラマコンテストに『唐木屋一件こと』で応募、最優秀賞受賞され将来を嘱望されました。
そして、今回の放送で、いろいろな過去の作品を伺っている中で、新たな発見が!
それは、2002年に四国放送の公募で入選作となった「阿波藍の唄が聴こえる」。
当時、さらだママは、優れたラジオ作品を試聴する機会があり、ある選者に「これはとてもいいラジオドラマだ」と勧められ、じっくり聴いた覚えがあったので。
そのときの作者が山本さんだったと、知って改めてびっくり!

日本のドラマ界を支える人は、すぐれたラジオドラマを書いて出てくる!
ラジオを愛する者として嬉しい限りです。

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by japanhosakkyo | 2011-01-11 18:52 | 放送アーカイブ
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2010年最後は大晦日にふさわしく、
日本大学芸術学部・教授でドラマ研究でおなじみの中町綾子教授がご登場。
2010年のドラマを総括していただきました。
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by japanhosakkyo | 2010-12-31 18:41 | 放送アーカイブ
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ゲストは、『学校へ行こう!MAX』、『有吉AKB共和国』などで注目されている
放送作家・石津聡さん

12月前半のゲスト・乙川恒樹さんの事務所の後輩です。

小学校時代を過ごしたのはフィリピンのマニラ。
結構、ユニークな経歴が多い放送作家の中でも、マニラ育ちは、石津さんだけではないかしら?
「普通のテレビは英語放送で、唯一の楽しみは夏休み明けにクラスメートが日本から持ち帰るドリフのビデオ。テープがすり切れるほど何度も観ました」。
この経験が後の放送作家活動の礎に! 

でも石津さんが、最初めざしたのはお笑い芸人だったそうです。
「小6で帰国した当時、ひょうきん族に、なんて新鮮な笑いだろうと衝撃を受けまして」。
大学時代は落研に属し、某有名プロダクション主催のお笑い大会に漫才で出場。
「ネタがどっと受けたので、才能あるかなって勘違いして」。
しかし、プロの道は厳しいと悟るも、ネタを作ったりお笑いの世界に関わる仕事が諦め切れず、お笑い大会の審査委員だった原すすむ、乙川恒樹の両氏が所属するライターズ・オフィスの門を叩いたのが、放送作家への道につながった。

「最初は先輩作家のお弁当の手配と手書き原稿のパソコン入力が修業の第一歩でした」。
その後、『学校へ行こう!』のスタッフに。
人気の屋上で告るコーナーのリサーチで「中学生の話を聞き出すのが上手い」と認められ、台本を書く作家に昇格できた。
リサーチスタッフから構成作家に残ったのは石津さんだけ。

最近は『有吉AKB共和国』でメイン作家として活躍。
「37歳ですが、放送作家ではまだまだ若手です」と謙虚に頬をそめながらも
「収入増えて、番組の数だけ毛根減った」
とばか受けの名言を残してくれました。
ママはすっかり石津ファンになりました。
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by japanhosakkyo | 2010-12-24 18:37 | 放送アーカイブ