カフェ・ラ・テ(ラジオ日本)

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カテゴリ:放送アーカイブ( 135 )

『宇宙皇子』の藤川桂介さんは、
小説家であり、脚本家!


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『宇宙戦艦ヤマト』の脚本や、小説『宇宙皇子』の作者で知られる藤川桂介さん。

開口一番「懐かしいね」と。
ラジオ日本がラジオ関東だった時代にいくつかのレギュラー番組を構成し、自らDJをされていたことも。
なんだかすごく身近に感じて嬉しくなりました。

藤川さんは東京の下町育ち。
高校時代に書いた短編小説が国語の先生(後にミステリー評論家となった故・中島河太郎氏)に絶賛されたのがきっかけで作家を志した。
大学は慶大文学部に進み放送研究会へ。
学生時代に脚本コンクール似」応募し、受賞がきっかけで審査員を務めた劇作家・故飯沢匡氏に私淑した。

文学座や新派の稽古にも顔を出し、芝居を創る現場に触れながら将来を夢見たが、「大学卒業後、父親に作家になるといったら勘当されて」家を出た。
「貧窮していたら、大学の放研時代の先輩から声がかかって」始めたのが当時の〝ラジ関〟での放送作家の仕事だった。

同じようにTBSに勤めていた先輩に声をかけられ、テレビドラマを書いた。
「赤坂の旅館に缶詰になってね。他の作家の先輩は夜な夜な遊びに抜け出してたけど、僕は部屋にこもってうんうん唸ってました」。
それを見た女将が『藤川さんは真面目な作家よ』と吹聴、そうした評判を聞いて『ウルトラマン』の立ち上げ時の作家として声がかかる。
「特撮の世界が面白くて」はまった藤川さんは、やがて壮大な想像力を活かせるアニメの脚本でも実力を発揮する。

カフェでは、キラキラした青春時代や駆け出しの頃のお話を興味深く伺いましたが、「作家を志した頃のどん底があってよかった。
中途半端に溺れていては浮上しないから」という戒めの言葉に、諦めずに精進し続けなければ、とさらだママも励まされました。
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by japanhosakkyo | 2012-03-09 05:29 | 放送アーカイブ
ヤンシナ出身 安達奈緒子さん

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第15回フジテレビヤングシナリオ大賞の受賞者、安達奈緒子さん。

安達奈緒子さんは昨年、『大切なことはすべて君が教えてくれた』で連ドラデビュー。
ヤンシナ受賞から8年目に、大きな仕事をし終えた達成感を伺いました。

中学生の頃から「物語を創ることに憧れた」安達さんは、大学時代早稲田の劇研で演劇修業。
大学は卒業したが折からの不況で日本脚本家連盟のライターズスクールへ。
ところが「脚本の書き方は学んでも、バックグラウンドがないと書けないと実感して」再度就職活動し、海外番組の日本語版を制作する会社に。
主にドキュメンタリー担当で「ドラマには遠い仕事でしたが、翻訳された難しい専門用語などをわかりやすい字幕用にリライトするとか、聴いてわかる吹き替えの台詞にする」などの作業が「ドラマのシナリオを書きたい!」というモチベーションに繋がっていった。

すでに結婚してお子さんも産まれ、家事と子育ての合間も縫ってのコンテストへの応募人生が始まる。
教室を離れ、「ひとりでコツコツやってましたから『続けていればきっと花開く』という希望と『こんなことやってて何になる』という孤独感の間で」揺れた。
ヤンシナを受賞してからも、長いブランクがあったのだが、プロットを書き続ける傍ら、2010年からは小説も含めたコンテストに再び果敢に挑戦もした。
そのパワーが連ドラデビューに繋がっていく。

一見遠回りをしてきたように見える安達さんだが、諦めない粘り強さと、マイペースの按配はプロを目指す主婦ライターのみなさんにも大いに参考になったと思いますよ!
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by japanhosakkyo | 2012-02-24 08:18 | 放送アーカイブ
藤森さんは筆名・麻生未央で「花の慶次」を執筆

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『中学生日記』や『火曜サスペンス劇場』などの脚本を手がける脚本家の藤森いずみさん。

藤森さんは、麻生未央の筆名を持ち、隆慶一郎の時代小説を漫画化した『花の慶次』の原作者としても活躍されています。

「子どもの頃は運動好きで、文学志向ではなかった」といいます。
大学も「薬学部」。
でも「就職先が定まらず、たまたま採用してくれたのが編集プロダクションだった」ことから超多忙な編集者生活へ。

ところが「ある企画がボツって急にスケジュールに空白ができた」とき、新聞で目にしたのが「放送作家教室(現・脚本家連盟のライターズスクール)」の広告。
「当時、向田邦子さんがブームの時代で、脚本てどうやって書くんだろう?」という好奇心から受講し、故・西島大氏、故・池田一朗(筆名・隆慶一郎)氏に師事。

脚本を書き、物語を創作するのは初めての経験だったが、資料を集め、整理する能力は編集者として培っていたのが功を奏し、師匠にその才能を買われ、「池田先生が60歳で小説家に転身されたとき、テレビドラマの仕事は弟子達にバトンタッチ」する中で脚本家としてデビュー。

その後『花の慶次』の連載が決まったものの隆氏が病に伏し、弟子達が漫画原作を担当することになったのです。
若い弟子達の原稿はなかなかGOにはならず、くじけそうになったけど「先生が、『何があっても降りるなよ』と励ましてくれて」・・・・・・という恩師の遺志を継いでの弟子達の奮闘記。
傍らで聴くさらだママもついうるうると来てしまいました。

藤森さんも、今ではライターズスクールの人気講師。弟子の面倒見がいいことでもよく知られています。
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by japanhosakkyo | 2012-02-10 08:14 | 放送アーカイブ
時代劇、刑事ものでおなじみ 蔵元三四郎さん

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蔵元さんの世間に知られたプロフィールは、脚本家の故小川英さんの愛弟子。
刑事ドラマ『太陽にほえろ!』でデビュー。
西村京太郎や夏木静子のサスペンス物、あるいは『遠山の金さん』、『三匹が斬る!』などの時代劇の脚本を手がけ、さらにテレビドラマに留まらず、ネットドラマやゲームソフトのシナリオも……。

けれども、この誌面を借りてさらだママとしては蔵元さんの人間力にあずかって、同世代の脚本家や放送作家の絆が深まったことも、しっかり記しておきたいと思います。

今からざっと20年前、蔵元さんは同世代の作家、一人一人に電話をかけて「交流を図ろう」と提案したのです。
もとより群れるのが嫌いというか、苦手で一匹狼になりがちな作家達ですが、蔵元さんの音頭取りで何度か集まって、飲み会など重ねるうちに、仲間意識が芽生えてきました。
そして、放送作家協会のさまざまな活動に力を合わせ、結束を強めて行動するようになったのです。

何をかくそう、さらだママと東海林マスターの出逢いも、蔵元さんの呼びかけがきっかけ。
私たち、集まった面子の一人だったのです。

脚本家になる前、サラリーマン生活をしていたときも、経営陣に人柄を買われたという蔵元さん。
後進の指導にも力を注ぎ、〝ひとつなぎ〟をプロデュースしてきた才能を、今後もさらに生かして、さらなるフィールドの開拓に、期待しするさらだママなのでした!
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by japanhosakkyo | 2012-01-27 08:10 | 放送アーカイブ
マルチに活躍! 宇野宇さん

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放送作家の宇野宇さん。
上から読んでも下から読んでも「うのう」という印象深い名前は、師匠の新野新さんと笑福亭鶴瓶さんによる命名と知りました。

大阪生まれの宇野さんは大学卒業後、関西を拠点に活動していました。
関西といえばお笑い! 宇野さんは、吉本興業の大阪本社に個人デスクを貰うほどの売れっ子でした。
そして、SMAPのバラエティー進出のきっかけとなった『キスした?SMAP』(ABC)の構成も手がけ、傍目には順風満帆な作家人生。
けれども、39歳のとき一念発起して東京に拠点を移します。

さらだママも宇野さんのお名前は、いくつもの番組のクレジットでよく名前を見かけていたので、イケイケドンドンのまま東京で仕事を広げたのかと思いきや、さにあらず。

「関西で売れっ子だった? それがどうした?」という空気で、ウエルカムな状況ではなく、新規開拓に苦労の日々だったというから驚きです。

「東京で一度リセットが必要でした。でも、それが新しい仕事のチャンスにもなったんです」。

宇野さんは、芸能プロダクションを設立し、作家活動に留まらず、タレントやアーティストのマネジメントや、放送作家の新人育成にも力を入れます。

幼少のころから文才に加えて音楽の才能も培った宇野さんは作曲活動や、さらに演出とマルチに活躍して、枠に収まらないビジネス展開を実践中。

そんな宇野宇さんが番組に残した言葉は「放送作家は人間力だ!」。

書く力はあって当たり前、そしてそれを持続・発展させるのは、魅力的な人間としてのパワー! 

さらだママも今年は人間力を磨かなくては!
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by japanhosakkyo | 2012-01-13 08:08 | 放送アーカイブ
好奇心の赴くままに! それがカニリカ流


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カニリカさんは、「女性学を勉強するために」米国カリフォルニア州立サンタアナカレッジに入学したものの「途中で専攻を変えて、テレビ制作を学ぶことに」なった。

子供の頃からテレビっ子だったので、アメリカで学んだ経験を生かして帰国後、日本のテレビ局入社を目指した。「でも、片っ端から試験に落ちて」、映像制作志望でポニーキャニオンに入社。

ところが「英語ができるからと、洋学部に配属されて」FM局を回るプロモーション担当に。
そこでラジオ番組の面白さを実感し、制作会社の人にディレクターやってみない? と誘われたのが実際に番組制作に携わるきっかけとなった。

だが尋常じゃないハードな現場で仕事を続けたため体を壊し、その後、マイペースで仕事をするために自ら制作会社を設立。
ラジオ番組の制作にとどまらず、雑誌のライターにフィールドを広げ、蓄積したネタを買われてテレビの放送作家の道に。
その後、コメンテーター、DJ、戯曲の作・演出まで好奇心の赴くままに! それが大きな可能性につながっている。
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by japanhosakkyo | 2011-12-23 07:48 | 放送アーカイブ
多岐にわたって活躍の場を広げている女性放送作家

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釜澤さんは、『情熱大陸』などのドキュメンタリーや旅番組を得意とする放送作家。
ジャンルにこだわらずフィールドが広いこと、そして自ら会社を設立して代表もつとめています。

釜澤さんの放送作家になったきっかけもユニーク。
釜澤さんは子供のときからドラマウォッチャーで、「将来はテレビドラマのプロデューサーになりたい」と夢みていた。
そこで新聞でみつけた制作会社のAD募集記事に応募したところ、「採用になったものの、クイズ番組のクイズ作家が足りないのでやれと言われ」、『高校生クイズ』や『なるほど!ザ・ワールド』でたっぷり鍛えられた。
「最初のうちはボツ続きだったのですが、そのうち『お前の作る問題は面白い』と褒められるようになって」、クイズだけでなく構成も含めた放送作家にならないかとディレクターに勧められたという。
釜澤さんが駆け出しの頃は、ケータイもなければインターネットも無い時代。
リサーチからロケのコーディネートまでフットワークよく動いて経験を積んだ。

それがその後の小説、映画の脚本など幅広いフィールドで活躍する原動力になっている。
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by japanhosakkyo | 2011-12-09 07:38 | 放送アーカイブ
劇団四季出身の歌って踊れる異色の放送作家

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ミュージカル俳優を経て放送作家になったという渡辺ゆたかさん。
さらだママが憧れる〝歌って踊れる放送作家〟です! 

長野という教育県で育った渡辺さん。
「希望校は狭き門で、高校受験に失敗した中学浪人をも含めて3浪し、悶々とした青春時代を過ごしていたのですが、あるとき雑誌の記事に目から鱗が落ちて!」。
それは演出家・浅利慶太さんのインタビュー記事。
そこで、渡辺さんは将来の道を決めた。

浅利氏率いる劇団四季に入るため、まず浅利氏の母校・慶應大学を目指し、見事入学。
劇団四季の試験は2度目で合格。
同期に鹿賀丈史さん、市村正親さんが。

12年間で約2000ステージに立つも、結婚を機に退団を決意。
「浅利先生には、子供のためのミュージカルの台本や作詞・訳詞を執筆するチャンスもいただいて」、書く方で仕事をしていこうかと思いも強くなっていた。

そこで舞台で共演した前田美波里さんに相談したところ紹介されたのが奥山コーシンさん。
放送作家界の重鎮にして秋元康さんの師匠!(たまこママの師匠でもあります)

奥山師匠には、初対面で日テレに連れていかれ、いきなり『ルックルックこんにちは』のスタッフルームに置き去りにされた。
「浅利先生と180度違うノリの師匠」に唖然としつつも、売れっ子放送作家の空気感を必死で学んでついてきた。

35歳、放送作家としては遅いスタートだったが「40までに一人前になっていよう!」と目標を決め、主にワイドショー畑で奮闘。
会議中の話しぶりを買われてTBS『ワイド・ウォッチャー』にはコメンテーターとして出演も。
「今や俳優人生より作家人生が長くなって」という渡辺さんには歌って踊れる事も武器にした作品にも期待したいと、しみじみ思ったさらだママでした。
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by japanhosakkyo | 2011-11-27 07:29 | 放送アーカイブ
作詞家でもおなじみ あかぎてるやさん

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作詞家、演出家としても活躍されているあかぎてるやさん。
8月にカフェに登場した石垣賢蔵さんが師匠と慕ったエピソードを話してくださったので、是非お会いしたいと思っていたさらだママでした。
早速幼少の頃からのお話を伺うと意外なことに「実家が医者で、高校時代までは医学部進学を目指していた」と。
「親友に映画好きがいて、その影響で洋画や洋楽に目覚めてしまい」、ミステリーなど読みあさる文学少年に転向、大学も早稲田大学の国文科に。
大学では放送研究会の演出部に属し、ラジオドラマの脚本を書いたのが〝もの書き〟の始まり。
「大学3年のとき、文化放送のディレクターになった大学の先輩に、手伝ってくれと呼ばれて」そのまま放送作家になった。
最初に担当したのが『懐かしの歌ごよみ』。
それまで洋楽一辺倒だったあかぎさんが、日本の歌謡曲の魅力に触れたきっかけになり、江利チエミさん、都はるみさんなどビッグスターの番組を手がけ、文化放送の看板番組『走れ歌謡曲』を長年にわたって担当、それが「後の作詞家活動に繋がっていく。

東海林マスターとさらだママがカラオケでよく歌う『ちょっとだけ…』
(島倉千代子&目黒祐樹)もあかぎ先生の作品だったのでびっくり! 

2000年以降『あかぎスペシャル』と題した歌謡コンサートの構成・演出も精力的に続けているあかぎさん。
印象的なエピソードとしては、「放送作家かけ出しの頃は、コピー機がないので原稿にカーボンを挟んで3枚複写式で書いていた」と。

東海林マスターもさらだママも知らなかった貴重な〝放送作家史〟のヒトコマ。記憶にとどめなくては!
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by japanhosakkyo | 2011-11-11 07:23 | 放送アーカイブ
ポケモン作家と、お芝居の話で盛り上がりました!


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アニメ「ポケットモンスター」シリーズの脚本で知られる園田英樹さん。
小学生のときから「ひょっこりひょうたん島」が大好きで、作者の井上ひさしさんの自伝を読んだら「脚本家になりたい!」と強く憧れた。
上京して明治大学に。
しかし学業よりアングラ劇の活動に青春を捧げた。
「井上ひさしさんと並んで尊敬する童話作家の森忠明さんに原稿を見てもらったら、まず演劇の勉強からしなさいと勧められ」、三原史郎氏率いる「劇団日本」に。
「アングラでしたから、初舞台でいきなり全裸になって。
そのとき演劇ってすごいな、なんだってできるんだ、ってすべてが吹っ切れましたね」。

その後、自作の芝居をやるために、ユニットも結成。
そんな活動の中、森忠明氏の友人で脚本家の小山高生氏を紹介された。
「テレビアニメの脚本書ける?」って言われて、ハイと即答。
「芝居書いてるからアニメなんて簡単に書けそうだと思ったんだけど、甘かった」。
決定稿に至るまで、何度も描き直しが待ち受けた。
しかし、それもいとわず、テレビの脚本は午前中に、午後からは劇団で芝居づくり、さらに夜はジュブナイル系の小説の執筆という精力的な生活を続け、さらに学校の講師や、生まれ故郷佐賀県鳥栖市の図書館で名誉館長を勤め、ワークショップを指導するなど八面六臂の大活躍。
確実に一歩一歩、憧れた井上やすしさんに近づいている。
そんな園田さんのストレス解消法は、散歩しながら即興で歌うこと。
そして時間を作って海外の演劇祭を見て歩くこと。
さらだママよりちょっとだけお兄さんの園田さんですが、身心ともに若くてパワフル。
見習わなくっちゃ!


さらだママのこぼれ話
園田さんは、超多忙な中、時間を作って海外の演劇祭を見に行くそうです。
で、今年はどこに? と聞いたら、夏はエジンバラにと!
なんと、奇遇、さらだママも自作脚本作品「沢木順 ソロミュージカル ロートレック」をエジンバラ演劇祭(フリンジ)にかけたので、夏エジンバラに行ってたのです。
一ヶ月公演で、私は最初の一週間、園田さんは後半にいらしたとか・・・ですれ違いでしたけど。
で、で、なんと!
園田さんは、「ロートレック」(英語版)を現地で観てくださったそうです。
園田さんとは初対面でしたが、こういう奇遇を、オンエアで語るって、ほんと縁を感じます!
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by japanhosakkyo | 2011-10-28 07:03 | 放送アーカイブ