カフェ・ラ・テ(ラジオ日本)

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112&113 鮫肌文殊さん

 ビックリハウスで賞を総なめした才能が、
テレビに生きる!鮫肌文殊さんです
 

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『さんまのスーパーからくりTV』や『ジャンクSPORTS』などでおなじみの鮫肌文殊さん。
このペンネームが、スタッフロールに流れてくると、とっても目立つ。
鳥肌実さんの親戚かしら? 
鳥肌さんにも負けない強烈な個性ある名前に惹かれたさらだママでした。

お会いするのは初めてでいたが、一目あって、才人オーラがぴかぴか!

お話によると、そのユニークなペンネームは、中学生のとき辞書をめくって、偶然めくったページに目をとめた見出し語から、つけたそうです。
高校時代は、その筆名で当時サブカルチャー雑誌として一世を風靡した『ビックリハウス』に小説やマンガを投稿し、3年連続で受賞という奇才ぶりを発揮。
エンピツ賞ってありましたが、そこで名を馳せた、10代の奇才さったのです。

神戸出身の鮫肌さんは、その後、近畿大学に進んで、関西を中心に、放送作家として活動を始めます。
中島らもさんと出会って、らもさんの劇団には役者としても参加しています。
「というと順風満帆みたいでしょ。でも当時はブレーン的な役割で、それだけではなかなか食えなくてですね」
そんなとき出会ったのが松尾貴史さん。
『東京に出てくればすぐ食えるよ』と! 
それで、すぐに行動を起こし、上京。
松尾さんも所属する古館プロジェクトに入った。
ただし最初は師匠となる、先輩放送作家故・腰山一生さんの鞄持ち。
「大手の事務所に入れても、そこから先が長いんですよね」

一本立ちするきっかけとなったのは『進め!電波少年』。
「事務所が配った作家のプロフィールに、電波少年を企画中の土屋敏男プロデューサーが目をとめて『鮫肌って、ビックリハウスの常連の?!』って」
高校時代の栄光が、10年近くの時を経て役に立ったというわけです。

「放送作家はアイデアのサービス業ですから」
面白いアイデアを実現させるまで徹底的に知恵を絞るのが楽しい。
「むしろ低予算とか、あれはできない、これもダメ、みたいな枷がいっぱいあればあるほど燃える」と言います。
曰く、「放送作家はドMでナルシスト」
自身が書いたナレーションをオンエアで聴くと「なんていい文章だ!」と惚れ惚れするそうです。

豪であり、高校時代からパンクロッカーでもある鮫肌さん。
今後ももっともっと天才奇才ぶりを発展させることでしょう。

どことなく漂わせる雰囲気に、きっとそのうち文学賞をお取りになるオーラが感じられました。
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by japanhosakkyo | 2009-12-27 10:39 | 放送アーカイブ